そもそも 忘れていること
今 たくさん テレビや SNS には
ぼく達 わたし達の 仲間の 肉を写して
人間達が 見て見てって風に
焼かれて 皿に盛られた ぼくら仲間の 一部や
おいしそうに それらを頬張る
人の様子が 溢れてる
そんなに 嬉しいことなのかなぁ
まだまだ 生きられたはずの 仲間は 早い時期に
窮屈な 汚れた場所から 出れた!と喜んだ途端
トラックで 運ばれてーー 初めて 外の
気持ちいい空気や 景色に 触れられたのに
すぐさま 屠殺の場所に着いて
いやいや 中に引っ張られ
有無を言わさず クビを切られるんだ
あっけ無くも 哀しい一生だよ
それまでも 生まれて過ごしてた所は
全然 外の草の生えた自然の場所
なんかじゃないよ
暗く 一頭ずつは 極端に狭い空間に
ずっと ずーと 繋がれてーー
身動きも出来ない
床は 掃除もしてくれないから 汚れたまま
人間に都合いい 食肉にされちゃう為
牧草じゃなく 人工的な飼料を食べさせられてる
今まで TVや写真なんかで 人間が見せられた
牛や ほかの動物たちの住まいや環境は まだ
世間に見せれる程度のものばかりさ
殆どは あの犬や猫の悪徳ブリーダーじゃない
けど ひどい環境で 短い一生を過ごす
まだ 犬たちは もしも 劣悪な繁殖家と
わかったら そいつらは 捕まって
犬たちは 助け出されるよ
でも ぼくたちは それは 違反じゃないんだ
畜産家は それは 動物保護団体から批判は
されても 捕まったりは ないんだ
ぼくたちは おいしい食事を提供してるのに
なんにも 感謝されない 生まれてずっと
ひどい寝ぐらで ずっと 毎日24時間
汚れた場所に 来る日も 来る日も 繋がれたまま
助けもなく 能動的に何もする事も出来ず
その日が来るまで耐えるんだ
1番 痛く苦しい その日が来ちゃうまでーー
みな 一瞬でも 考えて
思いを巡らして
いま 多くの人々が 口にする事の出来る
ぼくら 牛や豚 鶏たちの 食べ物は
決して 人間がつくり出した 人工物でも
命のない 感情のない 石のような
モノ でも ないよ
ちゃんと 気持ちもあるし 親を恋しがる気持ち
逆に 子を思う親 ーー 外で伸び伸びしたい
とか もちろん 痛いや 苦しいや
暑いや 寒いよ ご飯おいしくない
て 感情は湧くんだよ 無機質な物じゃない
すぐ側に仲間が居るのに 近くに寄ることも
まして 一緒にかけ足 や 交流 触れ合える
ことなんかも 全く出来ない中
きっと 頭の中には 様々な 感情が
湧き上がってるはずーー
そんな 生き地獄に 耐え続けるんだ
もとから 寿命は もっと有るはずなのに
人間によって ほんの短い一生にさだめられた上
ほんの ささやかな自由をも奪うなんてーー
なんて理不尽なんだ!
≡ ≡ ≡ ≡ ≡
人間は モノ以下に 虐げられた 彼らの
恩恵によって おいしい食事が可能なのです
でも 今 立ち止まって
安価過ぎる 彼らの断片
痛みの中 生き絶えた 彼ら
その一つ一つの命の 引き替えとなった
本来なら 感謝すべき その尊い一片ですら
余ったら 放置 そして 廃棄と
あまりに 雑に扱う我々は
このままで良いのか
自問すべきでは?
家庭で 大事に飼ってる 猫や小鳥と
ひいては わたしたち 人間と なんら
変わらない 生命を
わたしたちは 軽視し
顧みることは 一切しません
生産者は
意図的に 量産し 都合よく 生育し
人間好みの 肉質や味が楽しめる為だけに 改良
動物たちの 健全な飼育の考え方は 皆無で
増やし また 無感情に 殺すを 繰り返し– –
おびだだしい数の 不幸な 彼らを
日々 つくり出し 食肉へ ただ 変換するのみ
自己の利益の為に
消費者も
美味しいか お手頃か 賞味期限は– – 等
命を頂くより 自分らの損得
もっと 何処か 美味いメニューはないか?- -など
人間本位の 考えで 突き進んでいます
1番 愚かしい種族が この清らかな地球で
1番 傲慢な態度で のさばっているのです
