無くなり 失われようとする もの
前より 身近な動物や
本来 自然界にいるはずの 生き物たちが
人間により 酷い扱われ方をされている事に
自分も 徐々に気づかされ 良くなるよう
祈りにも近い 気持ちだったのだが - -
最近でも
給食を食べる 我が子は
しっかり給食費を払っているのだから
食事前の いただきます. は必要ない
とか
一部 ファストフードの景品欲しさに
購入後 付属のそれだけ 持ち帰り
食品のほうは すぐ廃棄する
など
もう 食する人間側が 命を頂き
生かしてもらってる事への 感謝など
基本中の基本さえ もう 分からない人々も
いることに 絶望感さえ 押し寄せてくる
今 戦後 80年経ち
戦没者 戦地の方々や 民間の
原爆や 空襲等 さまざま 被災され
命をなくされた 沢山の人々も いた中
残された日本人が 築いた 今の世界
なんだか
大切な 他者を想う心
それは 同じ 人間だけでない 他種や
自然物も含め 脈々と 受け継いだ
日本人の 精神も 失われたつつあるのだ
と 改めて 感じた今世 令和の 新しくも
哀しい時代の 到来の気がした

家畜という名の彼ら
「頂きます」という言葉さえ 形骸化し
山盛り安いお肉を食べれさえすれば良しとし
扱われる彼らの むごたらしさなど
知らん顔の消費者と
逞欲 物以下に扱う生産者によって
冷血に 骨の髄まで蝕まれる
感情を持ち 痛みも感じる彼らなのだが
- - その現状 真実を
私達は 子らに
説明出来るだろうか
扱い方同様 家畜などと
ひとくくりで 呼称してしまっている
彼らの存在は
本来 地球上の 我々の仲間
であることに 変わりない
私達は 人類の友 に対して
自分の欲の為 延々と
膨大な数の 彼らへ 直接的に
許されるべきでない罪を 犯し続けている
残念ながら それは 暗黙の了解
マスコミ等でも 殆ど
取り上げられることもない
この世は 現状
人間にとって 誠に 好都合な世界なのである

彼らの実態
連日. . TVや SNSで 山盛りお肉のどんぶりや
お野菜より安く売られる程の 様々な お肉製品
. . ホテルの朝夕の食べ放題,
近場の店の 人気のビュッヒェに
ファストフード業界 コンビニにも
余る程に 鶏も そのほか あらゆる 食肉が
切り刻まれ うず高く無造作に積まれ
つい先日まで 鶏や豚や牛として 存在していた
のが分からない位に 切断 調理され 並べられ
それらの 不幸な運命を 人は 知らず
我 関せずで 過ごしている
人が 勝手に 家畜の動物と位置付け 生を受ける
いや. 生を受ける前から その悲惨な運命は
決められている
親牛も 親の 豚も鶏や他の動物も..
過酷な暮らしは 産まれてから ずっと
屠殺されるか 途中 病を得たり 酷い扱いから
怪我を負ったり 異常な交配や品種改良により
息絶えたりと..
如何なる死に方であっても 心臓が止まる
その一瞬前まで 地獄の苦しみを 受け続け
こと切れる
その 壮絶な 生きよう 死に際
誰に 気に留めてもらう筈もなく
飼い主ですら 平気な様で
金儲けの対象としての扱いで. .
消費する側は 何くわぬ顔で 平然と喰らう
その眼前の屍の一部 苦しみ抜いた彼らを
一時でも思い巡らすことなど皆無で. .
さぁ 次は どの店で 何牛を 喰らおうか
と 大人の牛だろうが 子どもだろうが
お構いなし 喉だろうが 内臓だろうが
提供者も 購入者 食する側も 一頭ずつの
彼らの 骨の髄じゃないが 金になる躰を
隅々まで もぎ取り 売りさばき
また 食べる方も 美味いなら結構
安ければ なおさら よろしい
と 命を頂く意識は そっちのけ
我も我も.と 飲食店や小売店に足を運ぶ
何度も何度も出産されられ 心身ボロボロの
母親から産まれて すぐに 子どもは 奪い取られ
親は 必死に抵抗し 子は 泣き叫び
哀しい声は 暗く 狭く仕切られ
ぎゅうぎゅうに 入れられた 家畜という名の
沢山の動物たちの あちこちに生じる
日常的な 1シーンでしかないのだ
そして 物以下の扱いを受けつつ 晴れて
屋外に出してもらえたと喜んだのも 束の間
トラックに押し込められ どこに連れて
行かれるか.. 長い距離を揺られ
精神も極限状態にさらされ
屠殺工場へと 嫌でも 引かれ行く
最期である
そんな 一頭一頭の 行き様の上で
美味しい食事にありつけ
哀しい牛や 豚の親子の 犠牲の上で
人間は 自分の可愛い子や
かけがえのない家族と 楽しい団欒を囲める
毎日毎日 国内外 おびただしい数の
彼らの阿鼻叫喚の 断末魔が 繰り返されている
海外より 我が日本 優しいなどと自画自賛する
私たちの国は 他国より おぞましい飼育環境
と言われている 一例では 通常の流れ作業的に
雄子豚の 尻尾切断や 去勢手術を
無麻酔で行ったり と..
海外の畜産業界でも 日本の現状
野蛮行為 儲け優先主義は 周知のこと
知らぬ気付かぬは 我らのみ
各産地や 評判の料理を食する為
見参したり 報道 拡散する前に
実際の 畜産業の実態を 知ること
変えることが 必要ではなかろうか
人間以外 どうでも よし. は
果たして 許されるのだろうか

ブリーダーさんへ
ねぇ!
悪いブリーダーさん!
これを見てたら すぐに 行動してほしいな..
ボクらの パパ や ママ を すぐさま
離してあげてよ!
お願いします!!
たとえ ボク ママに会えなくなっても いいから
(ホントは会いたいけどーー)
モジャモジャの毛で 毎日 ずっと
汚れて 狭いオリに 閉じこめたりしないで!
なんて ひどいことするの!
ねぇ キミたちは 自分のママたちに
そんな ひどいこと しないよね!
どうか お願い その 暗くて 寒くて
寂しい 部屋から 出してあげて下さい!
ボクらからの お願い ぜったい
きいてほしいな
よろしくおねがいします

そもそも 忘れていること
今 たくさん テレビや SNS には
ぼく達 わたし達の 仲間の 肉を写して
人間達が 見て見てって風に
焼かれて 皿に盛られた ぼくら仲間の 一部や
おいしそうに それらを頬張る
人の様子が 溢れてる
そんなに 嬉しいことなのかなぁ
まだまだ 生きられたはずの 仲間は 早い時期に
窮屈な 汚れた場所から 出れた!と喜んだ途端
トラックで 運ばれてーー 初めて 外の
気持ちいい空気や 景色に 触れられたのに
すぐさま 屠殺の場所に着いて
いやいや 中に引っ張られ
有無を言わさず クビを切られるんだ
あっけ無くも 哀しい一生だよ
それまでも 生まれて過ごしてた所は
全然 外の草の生えた自然の場所
なんかじゃないよ
暗く 一頭ずつは 極端に狭い空間に
ずっと ずーと 繋がれてーー
身動きも出来ない
床は 掃除もしてくれないから 汚れたまま
人間に都合いい 食肉にされちゃう為
牧草じゃなく 人工的な飼料を食べさせられてる
今まで TVや写真なんかで 人間が見せられた
牛や ほかの動物たちの住まいや環境は まだ
世間に見せれる程度のものばかりさ
殆どは あの犬や猫の悪徳ブリーダーじゃない
けど ひどい環境で 短い一生を過ごす
まだ 犬たちは もしも 劣悪な繁殖家と
わかったら そいつらは 捕まって
犬たちは 助け出されるよ
でも ぼくたちは それは 違反じゃないんだ
畜産家は それは 動物保護団体から批判は
されても 捕まったりは ないんだ
ぼくたちは おいしい食事を提供してるのに
なんにも 感謝されない 生まれてずっと
ひどい寝ぐらで ずっと 毎日24時間
汚れた場所に 来る日も 来る日も 繋がれたまま
助けもなく 能動的に何もする事も出来ず
その日が来るまで耐えるんだ
1番 痛く苦しい その日が来ちゃうまでーー
みな 一瞬でも 考えて
思いを巡らして
いま 多くの人々が 口にする事の出来る
ぼくら 牛や豚 鶏たちの 食べ物は
決して 人間がつくり出した 人工物でも
命のない 感情のない 石のような
モノ でも ないよ
ちゃんと 気持ちもあるし 親を恋しがる気持ち
逆に 子を思う親 ーー 外で伸び伸びしたい
とか もちろん 痛いや 苦しいや
暑いや 寒いよ ご飯おいしくない
て 感情は湧くんだよ 無機質な物じゃない
すぐ側に仲間が居るのに 近くに寄ることも
まして 一緒にかけ足 や 交流 触れ合える
ことなんかも 全く出来ない中
きっと 頭の中には 様々な 感情が
湧き上がってるはずーー
そんな 生き地獄に 耐え続けるんだ
もとから 寿命は もっと有るはずなのに
人間によって ほんの短い一生にさだめられた上
ほんの ささやかな自由をも奪うなんてーー
なんて理不尽なんだ!
≡ ≡ ≡ ≡ ≡
人間は モノ以下に 虐げられた 彼らの
恩恵によって おいしい食事が可能なのです
でも 今 立ち止まって
安価過ぎる 彼らの断片
痛みの中 生き絶えた 彼ら
その一つ一つの命の 引き替えとなった
本来なら 感謝すべき その尊い一片ですら
余ったら 放置 そして 廃棄と
あまりに 雑に扱う我々は
このままで良いのか
自問すべきでは?
家庭で 大事に飼ってる 猫や小鳥と
ひいては わたしたち 人間と なんら
変わらない 生命を
わたしたちは 軽視し
顧みることは 一切しません
生産者は
意図的に 量産し 都合よく 生育し
人間好みの 肉質や味が楽しめる為だけに 改良
動物たちの 健全な飼育の考え方は 皆無で
増やし また 無感情に 殺すを 繰り返し– –
おびだだしい数の 不幸な 彼らを
日々 つくり出し 食肉へ ただ 変換するのみ
自己の利益の為に
消費者も
美味しいか お手頃か 賞味期限は– – 等
命を頂くより 自分らの損得
もっと 何処か 美味いメニューはないか?- -など
人間本位の 考えで 突き進んでいます
1番 愚かしい種族が この清らかな地球で
1番 傲慢な態度で のさばっているのです

子ども達の故郷
「 かわいい〜」 「 超かわい〜 」
と アニマル動画など 眺めている間も
ずっと 汚ない 倉庫という表現は
本当は おかしいけれど
陽の全く当たらない 換気無しの
臭気のすさまじい 一角で..
そこは 汚物もそのままなので
最早 トイレとも同等の スペースに
たくさんの 犬や猫たちが 長い期間
窮屈にも 入れっぱなしにされ それらの
汚れ果てたゲージが 中の彼らの健康も
勿論 度外視で 沢山 うず高く
幾つも 積まれている
犬は 毛も伸びるから とうとう
顔も隠れて 体は 汚物まみれ
その 可哀想にも (それは 人間の殻を
かぶった 悪魔. ゲドウが 成らしめたの
だが− − ) 憐れにも ボロ雑巾の如く
(あえて悲惨さを伝えるが為 表現したのだが)
犬種どころか 顔自体も 隠れてしまい
布切れか 古びたモップ先のように 見える
だが 彼ら 彼女たちは
そんな中 必死に生きようと
少量で しかも汚染された 水. 栄養分を
不自由な環境下 なんとか 摂ろうとし
狭く汚い 牢獄生活のような 現状で
小さな生命を産み続けさせられている
それを
一瞬でも 考えてみてほしい
そして 存在悪の それら
ブリーダーどころか飼育と言えず
敢えて 所持していると記すが
そこに 幽閉し続ける主のヤカラども
それらを 根絶する為 出来ることを
考え.行動しなければ と
強く願わずに いられない
奴等を 野放しにし 易々と 営利を
むさぼっていることに
間接的でも 加担してはいけないのだ
ママ犬 パパ犬は 犬の生活どころか
生き物としての 通常の生き方さえも
不可能に貶められ 主の独断で
切り捨てられているのが 現状です
ペットとして 犬や猫達を迎え入れた方
どうでしょうか
ご自分の 目の前の 純粋で 愛くるしい
坊やたちは 当然 親犬の 地獄の日々の中
生まれてきたことを 知りません
私達 人間も 実際の現状までは
見てきてはいません
親は 泣く泣く 引き離されたのも 束の間
今 また ボロボロの体で 次の子たちを
産まされ続け それは 引退迄
何年も何年も 続きます
この 自己の事でしか 生き物を持てない
輩には 今以上に 厳罰を望み
今後 一切 それらが 横行出来ない社会を
一刻も早く 実現しなければなりません
今も そして今までも
過去にさかのぼっても
犬として 生きられなかった
壮絶な 一生を 送った
名もない 彼らの為にも
人間が変えていかないと
いけないはずです

続く現実
今 よく 動物動画を目にする
どこかの国の人が 白熊の親子が触れ合っている
微笑ましい場面を上げていた
日本でも 頻繁に アニマル特集などをして
身近なテレビ等でも 愛らしい動物達の
親子や仲間との日常を 眺めることが出来る
かたや 近くのペットショップや
ホームセンター辺りでは 犬や猫は もちろん
ウサギに 小鳥や 魚たちに至るまで
沢山 陳列されている
物のように 他の商品と同等である
最低限の水. 食べ物以外は与えられない
排泄処理は お客への見た目も考慮してか
辛うじて.. だが 決して 衛生的と言い難い
場合もある
比較的 体の大きさから比べたら
若干は 苦しくない程度の ハムスターなどの
小動物もいるが 透明のプラスチックやガラス
金属製のかごに入れられ 飼われる日まで
店内の空調は入れてあるだろうが
個々により異なる体感もあるし 夜行性でも
昼間 照明に照らされ続け 逃げ場無く
暑くても 寒くても 窮屈でも 24時間
入れられっぱはし. である
犬は勿論 ウサギも 日に少なくとも一回は
ある程度の範囲を運動させないといけない習性だ
それを 生まれて すぐ 閉じ込められ
みるみる成体の大きさになり 体を伸ばす
ことも ままならない位の狭さである
– – と 今の動物たちの現状を 少しだけ
出だし記すつもりだったが 現実 こんなにも
留意すべき箇所が 多すぎるのだ
今日 私が言いたいのは
冒頭のクマの親子のように 猫にしろ リスに
しても 親 特に 母親の育児のもと スクスク
安心して成長すべきところ スッと 抱き上げられ
乳飲み中も 有無を言わせず 販売へと
持って行かれてしまう
急に 一瞬のうち 例えば 毛づくろいしていた
可愛い我が子を取り上げられた 親ネコは
事の成り行きすら把握していないであろう
一方 人間は 気楽に テレビやスマホ画面の
ほのぼのとした 動物の赤ちゃんに目を細める
また インスタあたりに 自分の赤ちゃんと
飼っているワンちゃんなどの やりとりを
親目線で録っては上げている
でも そのペットや
我が愛する子や 家族と楽しく観覧しに行く動物園
や水族館の 生き物は 本来の環境や
家族.グループから切り離され 人間の指示や
思惑のもと 命を繋がされているのだ
自分の意思とは 全く相反していようが..
イルカやその他 大型の水中生物も 無理矢理
広い海から 引っ張って連れて来られるという
酷いケースもあるのだ その際 怖い思いをし
仲間達は 怪我を負ったり 無下に殺されたり
と 冷酷な人間のなすがままに
その凄まじい状況の後に 各水族館へ売られ
その後 元の海を 想いながら
不本意ながら 芸を仕込まれ 生きる為に
言うこと聞かざるを得ない日々を
終生送るより仕方ないのだ
一例を挙げると
前半 のお店での 赤ちゃんウサギたちも
まだ 9月に産まれたばかりの あどけない表情
の子たちは 寒いのか 親が恋しいのか
2、3羽 集まって 寝そべっている
その光景を人間に置き換えたら− −
生まれて1か月やそこらで 親や兄弟と遮断され
見知らぬ所で 他種から タイミングや
運が良ければ 見出され 引き取られる人生
もし 選ばれなければ 数ヶ月後
体が その空間に一杯になり 一度もそこから
出されることなく 結局・・ となる
としたら どうであろうか
そちら その後の 動物たちは
私も 余り詳しく 検索しないが
と言うか 悲しくて 詳細は見れないのが
本当のところである
おおよそ 見聞き 想像する内容だが
可哀想な結果も 少なくはないだろう
それが 人間以外に生まれた 生き物の一生
そんな理不尽さの中 人間は 平気で
くる日も くる日も 同じ罪を続けている
